- 2012-10-31 (Wed) 15:33
- ユーレカの日々
仕事のメインマシンであるiMacをMountain Lionにバージョンアップした途端、写真をアーカイブしているiPhotoが起動しなくなった。ライブラリに異常が発生したらしい。
タイムマシン機能を使ってデータバックアップしてあるし、ライブラリを読み込めなくてもその中のjpegデータそのものはライブラリから取り出せるので、写真そのものが消失するという最悪な事態にはならないことはわかっているものの、分類などが失われるのはイタイ。
あれこれやってるうちになんとか復旧することが出来たが、かなりひやっとさせられる出来事だった。
●情報を保存する難しさ
デジタルデータはコピーや送信といったアナログ時代には考えられなかった便利さ、快適さを実現してくれた。そのかわりに、「瞬時に消失」という不安が常につきまとう。
アナログ時代の写真は複製にはコストがかかり、「退色」や「カビ」といった問題はあるものの、日常的に「簡単に消えて無くなる」という心配はなかった。あったとすれば、人に貸し出したあと行方不明になる、というパターン。
デジタルになったおかげで、人に渡した先での紛失の心配はなくなったかわりに、自分の保存は逆に不安定になっている。「今すぐ保存」はものすごく簡単にできるのに、それを長期保存するには不安がつきまとう。何万枚という写真でも、失われるのはたった一瞬。
考えてみれば皮肉なものだ。デジタルというのは、保存が簡単な様に見えて、実は長期の保存にはずいぶんと無頓着だ。
ディスクにせよ、半導体にせよ、機械的な故障、データのエラーで「読み出せなくなる」ということは避けられない。
さらに、これらのストレージはハード、ソフトともフォーマットがコロコロ変わる。
フロッピーからハードディスク、MO、CD-R、DVDーR…とイレモノはどんどん変わってきた。
我が家にある最も古いデジタルストレージは、PC98の8インチフロッピーだ。中には当時のワープロなどで作った書類が入っているはずだが、これを再生するにはどうしたいいのか見当もつかない。
メディアやOS、アプリが変わるたびに、最新のイレモノに移し替えていればいいのだが、そんな手間をかけないと「保存」が保証されない。クラウドの時代になってメディアからは開放されたように見えるけど、サービスが止まったり、パソコンが変わったりするたびに、ぼくのiPhotoライブラリのように、あれやこれやと手間がかかるのには変わりない。
あたりまえのように日々デジタルデータとつきあっているが、考えてみると、保存、保管ということに対しての考え方そのものが、アナログ時代とデジタル時代で大きく変わっている。
●保存の意味が大きく変わった
その昔、記録には「堅牢性」がとても重要だったはずだ。中世以前、移動にも伝達にも時間がかかる時代では、第三者にその情報を渡す(知らせる)という行為に時間がかかる。だれかがそれを見るのが3分後なのか30年後なのかわからない。だから絵画も、書物も、できるかぎり頑丈で、メンテナンスしなくても残せることが重要だった。
その次にやってきた大量生産の時代で記録は「残して未来へ知らせる」から、「広範囲に瞬時に、知らせる」に大きく方向転換した。印刷、放送が情報を流通させ、マスメディアが大きな力を持つ時代になる。この時代でもまだ、流通する情報の絶対量は限られ、それゆえに「記録」の必要性は強かった。だからぼくの時代であれば、テレビで放映される映画やアニメをビデオに録りまくっていたのだ。
やがてその時代も終わり、今は、だれでも世界中に瞬時に情報を伝達できる時代だ。デジタル化された情報は瞬時にコピーされ拡散される。
そういう時代では、記録の堅牢性が低くても、ほとんど問題にならない。それは流通している情報の絶対量が圧倒的に大きいからだ。
たとえば旅行に行って写真を撮る。名所旧跡の写真なんかは、ネットを探せばもう、いくらでも手に入る。写真どころか、映像やストリートビューによる臨場感のある空間も再現される。
実際ぼく自身、「あ、これはわざわざここで撮らなくてもあとでネットにいくらでもあるよな」と思うことがある。
それでも撮影するのは、Twitterなどでだれかと「共有」するためだったりする。旅行から戻って家族に見せたりするのも共有。
共有の賞味期限は短い。さしあたって数日共有できれば、あとは残ってなくてもいい。
写真を撮る意味が「残してあとで見る」ことから、「今、友だちと共有するツール」に大きく変わってるのだ。
もちろん、特定の人の様子、たとえば子どもの写真などは、取り替えの効かない貴重なものだ。しかし、撮影されている写真の絶対量が大きくなっている今現在、それすらも「だれかが撮っている」ものである程度は代替えが効く。Facebookやtwitterのおかげで、知り合いに聞いてまわるのに手間がかからない。
そう考えると、日常的な記録の、保存の重要性はどんどん失われてきているように思える。一つや二つ消えてしまってもあまり困らない。そこまで保管に堅牢性を求める必要がない。この100年のメディアの発達は、逆に記録の堅牢性の衰退だったのだ。
●ご祖先様の記録
長期間、保存された情報は、将来なにかの役にたつことがあるのだろうか。
国会図書館では、日本中で出版されているあらゆる書物を収集、保存している。言うまでも無く、文化や文明を保存するためだ。
なにが重要で、なにが重要でないか、それを今、決めることはできない。現在、見向きもされない文献が、100年後大発見に繋がるかもしれないし、今、もてはやされている情報が逆に陳腐化しているかもしれない。だから、内容を問わず、あらゆるモノを保存する必要がある。モノや人を保存するには限界があるから、せめて書物という情報だけでも。
さて先日、その国会図書館で思いがけず自分の祖先の記録と出会う機会があった。
そのご先祖様とは、ぼくの曾祖父、父の父の父、3世代前のご先祖様で名を長造という。明治〜大正時代の御方だ。
浮き沈みはあったが最終的に綿の売買で一山当てたらしいが、特に歴史に名前を残すほどのことはしていない。次の代には店を畳み、戦後財産は米軍に摂取され、父はもうフツーの勤め人。曾祖父の写真はあるが、どういう人でどういう人生を送ったのか、今となってはほとんどわからない。
そんな曾祖父宛ての感謝状かなにかが出てきたと父が見せてくれた。感謝状もらうくらいなら、どこかに名前くらい残っているのだろうか、と気まぐれでその曾祖父の名前をGoogleで検索してみた。
すると、国会図書館の近代デジタルライブラリーに、曾祖父が大正14年に出版した書物が見つかったのだ。
その本のタイトルは「戦時戦後の綿業機界 : カネ五続篇」といい、自分の店(カネ五が屋号だったらしい)の創立記念に綿業業界の歴史をまとめた自費出版本のようだ。
今から90年前のこの書物、我が家にはおそらく残っておらず、もうだれも覚えていない。
さらに驚いたのは、この90年前の書物がAmazonに登録されていたことだ当然、「この本は現在お取り扱いできません」となっているが、そのページには「この商品を出品する」ボタンがある。
おそらく、マーケットプレイス出品者のために国会図書館の古書データベースを登録しているのだろう。しかし90年前の業界誌(当然ISBNコードなどない)がAmazonにあるとは。
●国会図書館に納めてもらおう
ご存じの方も多いと思うが、日本には国会図書館法という法律がある。この中に出版物は国会図書館に納入しなくてはならない、という条項があり、それに従い、日本国内の出版社はすべての出版物を国会図書館に納めている。この法律は昭和に制定されており、曾々祖父の本が出版された大正時代にどういう経緯で国会図書館に収蔵されたのかはわからない。しかしこうやってちゃんと国会図書館で保存され、さらにデジタル化され、ネットで全文を読むことができる。
この文献がだれかの役にたつのかどうかはさっぱりわからないが、90年後に曾孫が見る機会があっただけでも、保存されていた意味はあるだろう。
そういえば、はじめて自分の本が商業出版されたとき「これで自分の名前は国会図書館に永久保存されるんだ」なんてちょっと特別な事になった気分になったものだ。
その後、国会図書館では商業出版に限らず、自費出版物でも直接送りつければ受け付けてくれると知った。しかし今のようにネットでなんでも調べられる時代でもなく、国会図書館を直接利用することがないので、実感もない。
そういうことはすっかり忘れてしまっていた。
今回曾祖父の本が自費出版だったのをきっかけにそんなことを思い出し、改めてネットで調べてみると、自費出版本の国会図書館への納入は「権利」ではなく、「過料(罰金)」まで規程された「義務」だそうだ。
さらに、本は寄贈しなくてはならないのではなく、定価の半額で買い取ってくれるらしい(その場合は手続きが必要。寄贈なら送るだけでOK)。
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit_01qa05.html
サイトでは「頒布を目的として相当部数作成されたすべての出版物 ただしホチキス留めなど簡易綴じのものはNG」とある。ぼくも昨年と今年、自主制作で描いていたマンガをまとめて自費出版本にしたのだが、「相当部数」「簡易綴じ」あたりがあいまいだったので、電話で問い合わせてみた。
100ページ程度、200部のマンガ本と伝えるとOKとのこと。また、奥付に住所ではなく、メールアドレスとサイトアドレスしか載せていないのも大丈夫とのことだった。
法律では「納入は出版後30日以内」と規程されており、もうこの時点で法律違反確定なのだが、聞いてみると30日以上たっているものでも受け付けてもらえるとのこと。
過料については聞かなかったし、電話でも注意もされなかったが、もし本を納入したあとで請求が来ちゃったらどうしよう…とも思うが、永久保存の代金と思えば格安だと思うことにした。
よく「MOMA永久保存」なんて宣伝文句を目にするが、永久保存というのは実はわりとハードルが低いものだったのだ。
Webやtwitterも、様々な機関によって収集、保存活動がなされているが、さて、Webやクラウドにある、ぼくの作ったデータと、国会図書館の本。遠い未来まで残るのはどちらだろうか。
初出 【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3362 2012/10/31
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