- 2014-03-05 (Wed) 13:39
- ユーレカの日々
消せるボールペン「フリクション」という製品がある。パイロットが2007年から販売していて、水性ボールペン、サインペンなどラインナップもかなり揃っている製品だ。どんなペンかと言うと「消せるインク」が特徴だ。
消せるインク、なんて聞くと昭和生まれの男子としては、スパイ手帳についていた「反対側のペンでこすると文字が浮き出る透明インク」とか思い出してワクワクしてしまう。このインクはきっと、捉えられたスパイがそのメモを消滅させるためにあるのに違いない…。
そんな妄想が一瞬頭をよぎったが、実際、何に使うのか今ひとつピンと来なかった。ボールペンというのは消えないから意味があるのであって、消すことができるなら鉛筆でいい。だから、さほど興味を持っていなかった。
●フリクションを絵の下描きに使う
そんなフリクションに興味を持ったのは、「絵の下描きに使う」という話を聞いたからだ。マンガなどで鉛筆で下描きをすると、後からそれを消すのは結構な労力だし(実際昔アナログで描いていた時は一番辛い作業だった)、紙の表面が傷んでしまう。フリクションだと、熱で消えるのでドライヤーや低温のアイロンで一気に消せる、ということらしい。
自分自身が絵を描くのにはすっかりデジタル環境なので、そういう需要は全く必要無いのだが、アナログ派の学生の制作に使えるかもしれない。まぁ、ちょっとした気まぐれで、一本買ってみた。
フリクションに使われているインクは、熱で透明になる性質を持っている。書いたものを、ペンについているシリコンラバーでこすると、摩擦熱で透明になるのだ。お湯を入れると絵柄が変わるマグカップ、というものが昔からあるが、あれと基本的に同じもの。カップの場合は常温になるとインクの色が復活して絵柄が戻るのだが、フリクションのインクは常温に戻っても透明なままという改良がなされているらしい。
使ってみると、書き味も見た目も普通に水性インキなのだが、こすると見事に消える。消しゴムと違って黒いケシカスが出ないのがたしかに気持ちがいい。
ドライヤーで消すというのもやってみた。あっさり消えるのかと思ったら、ある程度当てていないと消えない。摂氏60度になると透明化するそうだ。しばらくドライヤーを当てて紙が暖かくなると、一気に透明化するのが面白い。これならマンガの下描きをフリクションで、というのは十分アリだろう。
以前、テレビでマンガ家のさいとう・たかを氏がゴルゴ13を描くのに、修正液を塗ったあと「タバコ」の熱で乾かすというのを見たことがある。それを思い出して、フリクションでやってみた。タバコを近づけると、すーっとそのあたりが消える。これは面白い。
たしかに、表面をこすらなくても一気に消せるのは、紙の表面を痛めることもないのでマンガやイラストの下描きによさそうだ。
もっとも最近のアナログマンガは、鉛筆の下描きの上から直接清書するのではなく、ライトボックスを使って別の紙に書き写すという方法がよく取られている。この方法だと消しゴムをかけなくていいことはもちろん、失敗しても下描きが残っているのでやり直しが効くというメリットもある。ミリペンで書いたところに消しゴムをかけると薄くなってしまうのだが、この方法ならマーカーで描ける。さらに最近のライトボックスはLED化していて、薄く、熱くならない。
この方法と比べると、フリクションでの下描きはいまひとつメリットが見いだせない。悪くはないが、あえてこれを使う意味もないだろう。
他になにかおもしろい使い方はないだろうかと考えてみる。清書をインクではなく鉛筆でやる、というのはどうだろうか。水彩画では、ペンのクッキリした線よりも、鉛筆の柔らかい線の方が合う場合が多い。しかし清書が鉛筆だと下描きをどうするかという問題がある。もちろん鉛筆はいくらでも消せるのだが、不要な線を消していくのは面倒な作業だ。フリクションの水色で下描きを行い、鉛筆で上から清書する。ドライヤーで下描きを消してから、水彩やカラーインクで彩色する。水彩用紙は厚手で透過しにくいので、これはメリットがありそうだ。
●よく考えれば下描きがいらない
いや、よく考えてみればそもそも消せるのだから下描きではなく、下描きなしの清書に使ってもいいだろう。本来、下描きというのは清書が消せないからそのガイドとして作るのであって、清書が消せるのならわざわざ下描きをする必要はない。構図のアタリだけ鉛筆でとって、あとはフリクションで直描きしてみる。
鉛筆とちがってクッキリとした線が描け、いつでも消すことができる。修正液や修正テープだと、その上から描くと表面が凸凹していたり段差が出てしまったりと、面倒くさいのだが、フリクションで消したあとすぐに上から書いてもなんら問題ない。これは気持ちいい。
惜しいのは黒の色が薄いのだ。水性ボールペンは線が細いのでさほど違和感が無いが、サインペンタイプの黒は相当に薄い。事務用なら問題はないが、画材としては顔料系のペンを使い慣れているので、この薄さはかなり残念だ。
また、清書用としては水性なのがつらい。作画中に不用意に滲んだらどうしよう…と思ったけど、フリクションは熱で消せる、つまり紙に染みこんでいても消えるので、多少滲んでも修正は簡単なのだ。
まぁ、黒の薄さも水への弱さも、出来上がったらさっさとスキャンしてしまえば問題はないのだけれど。
全部をフリクションで描くのではなく、一部だけ使うという手もある。最近、うちの学生がマンガを描くのに、主線はペン、陰影のハッチングにはシャーペンを使っていた。この学生はいつも描き込みすぎて失敗してしまうので、この方法を思いついたらしい。スキャンしてしまえば問題ないわけだ。この方法にフリクションを使えば、より違和感なく、筆圧も必要なくペン画を仕上げることができそうだ。マンガの背景の細かい描き込みも、フリクションならストレスなくできそうだ。
●色が使える、消せる筆記具
そんなこんなで結構面白く、色んな色、いろんなタイプのフリクションを買い揃えていくことになり、それがまた、使い方を拡げてくれることに気がつく。
一番利用価値を感じるのは、ミーティングなどで情報を整理したり、アイデアを練る時だ。最近大学でミーティングをする時、フリクションは必須になってきている。
アイデアは「とにかく要素を出す」「整理する」という2つの過程が重要。その過程から具体的なアイデア、解決策を見つけていくわけだが、この後者においてフリクションは大活躍してくれる。それは「色」だ。
フリクションではボールペンタイプでもフェルトペンタイプでも、たくさんの色が揃っている。色を使ってグルーピングをしたり、マインドマップのように線で結ぶ。この過程は試行錯誤が必要なので、複数の色が使えることと、消すことができることがとても便利だ。線を消したりつないだり、色を変えたり。パソコンではよくやる方法だが、紙とフリクションでも同様のことが簡単にできる。
考えてみれば、文字を書くのに向いている筆記具で、「複数の色がある」「消せる」両方を兼ね備えたものが今までなかったのだ。クーピーペンシルという、消せる色鉛筆があるが、あれは細かい文字を大量に書くのには向かない。
職業柄つい「画材」として見てしまっていたが、いろんな色が使えて、キレイに消せる筆記具というのは、たしかに無かった。デジタル、たとえばiPadの手書きメモアプリでは当たり前の機能なのだが、そうだ、これはアナログ世界では出来ないことだったのだ。
となると、使える場面は一気に広がる。
たとえば校正の赤入れ作業。現在はpdfも多いが、紙で校正する場面もまだまだある。紙での校正は修正が長文になってくるととても面倒くさいのだが、いつでも消せる赤インクならストレスがないし、複数の人間が複数の色を使って校正を入れることもできる。
学校で学生のイラストやマンガの指導にも、よく使うようになった。さすがに原画にはやらないが、ラフに赤を入れるのも躊躇する必要がない。
実際に普及しているのかどうかは知らないが、店舗での「ポップ」の制作もフリクションが威力を発揮する場面だろう。現場で失敗を恐れず楽しんで描くことができるし、値段を書き換えるのも簡単だ。
使ってみれば、「インクは消えないもの」という固定観念に囚われていたことがよくわかる。
●消さないためにどうするか
フリクションは筆記具としても画材としても、耐久性に疑問が残る。所詮は水性、染料系インクなので、水に弱いし、経年や紫外線にどれくらい耐性があるのかわからない。製品にも「宛名書き、証書に使うな」と明記されている。これらの用途は普段から「油性ボールペン」を使うように気をつけているので問題ないが、メモやスケッチが不用意に消えたらどうするのか?
インクは60度で透明になるので、たとえばミーティング中に肉まんやたい焼きをポンと上に置くとやばい。熱いコーヒーをこぼしたら…夏場クルマに置き忘れたら…とか心配は尽きないが、そんなことを言ったら、紙は燃えるし、きりがない。
ちなみに非常時は、冷凍庫に入れてマイナス10度まで冷やせばインクの色が復活する。もちろん、消したところが全部復活するので、あくまでも非常事態用だが。冷却スプレーをかけてもいいらしい。こちらなら部分的に冷やせる。
それよりなにより、消えたら困るのであればさっさとコピーを取ってしまえばいい。ぼくはiPhoneのスキャナーソフトCamScannerを愛用していて、普段から無くしそうな書類はかたっぱしからこれで撮影している。これならどこでもすぐに複写がとれるし、クラウド同期なので安心。「情報が消えるかもしれない」というのは、デジタルに慣れ親しんだ現代では、さほどマイナス要因ではないはずだ。バックアップをとればいいのだ。
画材としても、イラストは製版さえできればいい。過去、カラーインクやマーカーなど「耐久性は劣るが、使い勝手がいい」ものがデザインやイラスfトの現場では使われてきた。ましてや現在では自宅でデータ化が簡単にできるのだから、イラストの画材として十分アリだろう。
●改良とラインナップを望む
そんなわけですっかりフリクションにはまってしまったわけだが、問題がないわけではない。
まず、消えてしまう、ということ。うちの学校でも「書類や伝票では使わないように」というアナウンスがされるほど、普及してきたようだ。自分は注意することができるとしても、見た目は普通にボールペン・サインペンなので、フリクションを知らない人が知らずに使ってしまう、ということがあるだろう。本体に注意書きやアイコンなど、なんらかの明確なサインが必要だと思う。そういえば「油性」「水性」「顔料」などの表示もメーカーによってまちまちだ。この機会に業界で統一のシンボル、表記などを考えて欲しい。
2つ目は、ラインナップが少ない。現在、複数の太さのボールペン、フェルトペン、蛍光インクの楔型マーカーが販売されているが、コピックマーカーのようなブラシタイプ、ミリペンタイプ、プラスティック万年筆タイプがぜひとも欲しい。筆圧が効くものが出てくれば、画材としての可能性が一気に広がる。Gペンなどつけペンで使える、インクのみの販売もして欲しい。「無印良品」でも「消せるボールペン」が販売されていて、これはパイロットからOEMされているようだ。とすれば、コピックの.TooにOEMもあり得るんじゃないだろうか。色数ももっと増えてほしい。
●新しいものは説明が難しい
フリクションをボールペン、と捉えるとピンと来なかったのだが、使ってみてわかったことは、これはボールペンではなく、進化したシャープペンシルということだ。ボールペンの一種と考えると真価を見失うが、シャープペンシルの進化系と考えれば納得がいく。
シャープペンシルは「簡単には消えない」という安定性と、「安定して一定の結果が得られる」という確実性、「間違った時、失敗した時はやり直しができる」という安全性の3つのバランスがいいから、汎用性がある。
フリクションはそれに加えて、クッキリと書ける、色が使える。それが使えない物であるわけがない。メーカーもこのあたりは考えているようで、「フリクションいろえんぴつ」という商品名を最近「フリクションえんぴつ」に変更したそうだ。おそらく「いろえんぴつは消えない」「いろえんぴつは、絵を描くもの」という先入観で捉えられるからだろう。
先入観というのはなかなかにやっかいなものだし、人に説明するのも難しい。特に新しいアイデアというのは、わかってもらえるまで時間がかかる。おそらくフリクションが製品化されるまでも、社内でも一筋縄ではいかなかっただろう。
デジタルは日々進化するが、アナログも進化している。そして、デジタルの時代だからこそ、新しい価値が生まれるアナログもあるのだ。
初出:【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3616 2014/01/15
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