- 2013-10-30 (Wed) 01:15
- ユーレカの日々
先日、実家の片付けをしていたら、古いコダックのカメラが出てきた。「KODAK INSTAMATIC 33」という、40年も昔のコンパクトカメラだ。小学校の頃に買ってもらったそのカメラはカートリッジ式のフィルムを使うパンフォーカスカメラ。要は子どもでも扱える、今でいうトイカメラのようなモノだ。
たしか散々ねだって、ようやく誕生日に買ってもらったのだと思う。はじめての自分専用の「記録装置」に夢中で、さんざんシャッターを切った。とは言ってもフィルムの入っていない「空(カラ)フィルム」だ。フィルムはとても高価で、特別な時にしか買ってもらえなかったし、撮影してもそれが見れるのは現像から戻ってくる数日後。なので、何を撮影したのかは憶えていないし、実際に撮影したのは100枚にも満たないと思う。
あれから40年。フィルムカメラの時代からデジタルへ。撮影コストがかからなくなったおかげで、写真を撮ることは随分と身近になった。iPhotoを見てみたら、過去1年間で4千枚ほどの写真を撮影している。一枚撮影するのにも慎重だった40年前と比べると雲泥の差だ。
さらにここ数年では、写真はスマートフォンの様々な機能と連携することで、思いもよらない進化を遂げてきた。中でも革命的だったのがInstagramだろう。撮影し、加工し、発表・閲覧する全てがパッケージ化されたこのサービスは、世界中で愛される大ヒットとなった。実際、僕自身もInstagramではじめて、写真の面白さを知ったように思う。
それまで、自分で撮影する写真は旅行などの記録であったり、絵を描くための資料的なものがほとんどで、作品として飾っておくような写真とは縁遠かった。それがInstagramだとセンスのいいフィルタのおかげで、気の利いたオシャレな仕上がりが手軽に楽しめる。投稿する仕組みのおかげで気軽に発表ができる。人の作品を見る楽しみもある。
この一連の行為は、昔であれば大変な労力だった。撮影し、現像し、会場を探し、案内状を出して自分の個展を開いたり、友人の個展を訪れる。それと同じような事が、手の中のiPhone1台でできてしまう。大げさな言い方をすれば、Instagramによって写真ははじめて、だれにでも楽しめる文化になったのだと思う。
●立体写真カメラアプリ「seene」
スマートフォンにはInstagram以外にも、面白いカメラアプリはたくさんある。シンメトリーに撮れるカメラ、版画や絵画風になるカメラなど様々なアイデアのカメラアプリがリリースされているが、最近出たiPhoneのアプリ「Seene」は、これまでの写真とは全く違う、とびきりのアイデアだ。
「Seene」は一言で言えば立体写真カメラ。立体写真といえば、ステレオペアによる、立体視が思い浮かぶ。3D映画も、3Dカメラも、どれも視差を使った、立体視方式。しかしSeeneの「立体」は、ステレオペアではない。写真を「立体データ」化してしまうというシロモノだ。
まずは撮影。シャッターを切ったあと、ゆっくりとカメラを上下左右に動かす。水平移動ではなく、対象物を巻き込むように移動させるのがポイントだ。
画面上の4方向のサインがすべてグリーンになったら計測終了。数秒で写真が立体化される。
立体として見るのは、iPhoneを傾ける。そうすると、まるで手の中にその物体があるかのように、立体的に見えるのだ。
開発元プロモーションビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=nXF1qRFCbII
Seene(itunes store/無料)
https://itunes.apple.com/jp/app/seene/id698878590?mt=8
どのような仕組みかというと、どうやら輪郭上の複数のポイントを検知し、カメラを傾けることによって三角測量の要領で奥行きを計測、レリーフ状の3D立体を作ってそこに、最初シャッターを切った時に撮影した写真をマッピングしているようだ。
レリーフ状なので真横や裏から見る、というわけにはいかないが、結構な奥行き感が得られる。状況によっては、立体が変になる場合もあるが、コツがわかってくると、奥行きを強調した撮影もできるようになる。この過程がまた、面白い。
これで撮影した立体写真はwebブラウザでも見ることはできるが、マウス操作で傾く程度。iPhoneと同じデータのはずなのに、立体感が随分違う。
まつむらが撮影した、Kodak INSTAMATIC 33
http://seene.co/s/UMsxFr
(Google ChromeもしくはFirefoxでないと見れません)
手の傾きでオブジェクトも傾く、という体験が立体としての認識を高めているのだろうか。Seeneの画面に写るものは平面写真に過ぎない。動かしたところで、ビデオで物体を回り込むように撮影しているのと変わりないのだが、手の動きにあわせてそちら側に「回り込む」ことができるだけで、自然に立体感を感じることができる。とても不思議な感覚だ。
撮影したデータはInstagramと同様に、投稿できるようになって、世界中のユーザーが撮影した様々な立体写真が閲覧できる。(僕は「makio」というユーザ名なので「Seene」を入れた人はぜひフォローしてください。こちらからもフォロー返します)
●︎空間を撮るPhotosynth
Seeneでいろんなものを撮影してみたが、「モノの立体感」の表現は簡単にできるのに対し、空間の奥行き感の撮影は苦手だということがわかってきた。計測ポイントを画面の中心付近に取るためか、広い空間をうまく表現することができない。
広い空間を撮影するにはどうしたらいいか。パノラマ写真もいいが、Googleマップの「ストリートビュー」のような、360度見渡せるVR撮影が臨場感がある。
「Photosynth」は、そんなVR撮影をiPhoneで簡単に行うことができるiPhoneのアプリだ。
Photosynth(iTunes store/無料)
https://itunes.apple.com/jp/app/photosynth/id430065256
カメラを動かすだけで複数の写真を自動撮影、それがキレイに合成され、球面の内側にマッピングされる。
Photosynthで撮影したデータは再生時、指やマウスでスクロールするようになっていてそれだけでも楽しめるのだが、最近、Sphereという別のアプリで読み込めることがわかった。
Sphere(iTunes store)
https://itunes.apple.com/jp/app/sphere-360-degree-panorama/id335671384?mt=8
SphereもVR写真を楽しむアプリだが、こちらには撮影機能はない。そのかわり、再生時にiPhoneやiPadを動かすと、VR空間のその方向が見れる。まるでカメラを覗いて風景を見ているように、違う場所、違う空間を疑似体験できる。Seeneと同様に、自分の動作で反応するだけで、空間感がぐんと増す。
webでのまつむら作例の閲覧
https://www.thesphere.com/profile/203862
●︎世界を認識する不思議さ
SeeneやSphereで写真を見ていて、立体感や空間感、存在感というのはなんなんだろうと考えた。
SeeneやSphereで、画面に映っているのは立体でもなんでもない二次元画像だ。webで見ると、単に止まった画像で、とりたてて立体的に感じられるわけではない。にもかかわらず、iPhoneやiPadで、自分の動きにあわせて画像が動くことで、立体や奥行きをリアルに感じる。ステレオペアでもないのに、なぜ立体感を感じるのだろうか。
考えて見れば、普段写真を見ていても、「立体感がないなぁ」とか「空間が感じられないなぁ」なんて思うことはない。写真はそれだけでも立体感や空間が充分に伝えられる。3D映画を見てはじめて、今まで見ていた通常の映画が平面だったのに気がつくが、だからといって、普段平面の映画やテレビを見て「平面っぽいなぁ」とは思わない。
平面である写真には立体や空間の情報はほとんど含まれていない。その証拠に、一枚の写真から3Dでその空間や立体を復元するのはほとんど不可能だ。
おそらく自分の体験の中から似た体験を参照し、脳内がそれを「立体」や「空間」として補完しているのだろう。陰影が回り込んでいるのは、立体面だから。近くのモノは大きくはっきり見え、遠くのものは小さく霞む。男性なら身長170cmくらい。重なり合っている後ろのモノは見えない。透視図法などの遠近法で描いたものがなぜ、立体に見えるのかといえば、似たような立体をすでに見ている経験があるからだ。どうやら、写真や絵を見て感じる存在感とは、自分の脳が補完していたのに過ぎないものらしい。
片目を閉じて歩いてみる。立体感や奥行き感は失われているはずだが、じゃあ、どこにモノがあって、どこに壁があるのかわからないか、といえば、それなりにわかる。自分が動けば、記憶の中で視差が生成され、立体を感じることができる。
つまり、人間は二つの目で立体を把握しているだけではなく、全身の運動すべての感覚と、それまでの体験の記憶を総動員して、「理解」しているのだ。SeeneやSphereが立体に感じられるのは、自分自身が動くことで、脳内で立体に変換し認識しているのだろう。
●進化する疑似体験
SeeneやSphereのようなテクノロジーが発達すれば、今以上に緻密でリアルな疑似体験が可能になる。撮影をステレオカメラや音波測定で行い、ジャイロを内蔵したヘッドマウントディスプレイで再生すれば、相当にリアルな体験が得られるはずだ。
実際にそういった製品は販売されており、FPSシューティングゲームなどで使われている。匂いや、温度、肌触りといった感覚は今はまだ記録・再現ができないが、それもやがて、手の中のスマートフォンで実現できるようになるのかもしれない。
1983年のSF映画「ブレインストーム」では、体験を記録し、他人が再生できる機械が出てくる。この映画で、開発当初は研究室一部屋もあった記録再生装置が、開発が進むことでヘッドフォン程度のサイズにまで小型化される様子が描かれていた。初代Macが発売される1年前に公開されたこの映画が描いた通りの未来がまさに今、実現していようとしている。
●︎究極の表現よりも、多様な表現
SeeneやSpheraで思うのは、ぼくたちの脳はほんのちょっとのことで、平面や空間を認識してしまうという、不思議さだ。
たとえばマンガ。
マンガを読む、という行為は、紙の上に描かれた複数の画像を眺めることだ。
しかし、読んだ人間の脳内では、登場人物、空間、場面の印象が「実際の出来事」のように思い起こさせられる。考えてみれば不思議なことだ。
アニメであれば絵が動き、音も出る。色もついて光の表現もなされる。どれだけデフォルメされたキャラクターであっても、動きや効果で生きているように見える。しかし、マンガは面すらない、モノクロの線画にすぎない。動いているわけでもなければ、音もでない。なのに、それを読む人はキャラクターを生きているように、その空間に自分が居るかのように感じることができる。その証拠に、マンガがアニメや実写映画化されたとき、最初だれもが絵や声に違和感を感じる。読者それぞれの脳内で、異なる解釈がなされているから、映画という固定された解釈に違和感を感じるのだろう。
アニメや映像がどれだけ簡単に作れるようになっても、マンガという表現には、それ独自の表現の面白さがある。ある意味、これは「不自由さ」からくる、表現の工夫だ。
●カメラ=万年筆
そう考えると、SeeneやSphereを「面白い」と感じるのは、その疑似体験度の高さよりも、その手軽さと不自然さに秘密があるように思える。
立体が変な形になってしまったり、空間が欠落していたりする。ユーザのほとんどは、その未完成さを楽しんでいるようにも思える。不自然さの中で工夫することが、表現の面白さなのだ。
もし、映画「ブレインストーム」のように、だれでも体験を簡単に記録できるようになっては、映画やマンガのような、楽しさは生まれないのかもしれない。究極の疑似体験が一つだけあるよりも、3Dも写真も、マンガやや写真、絵、そういった表現の多様性こそが、世界を面白くしているのだ。
「カメラ=万年筆」という言葉がある。フランスの映画監督アレクサンドル・アストリュックの映画理論で、映画は映像や物語から次第に開放され、ペンの様に、より身近で柔軟なものになっていく、という意味だ。
スマートフォンのカメラは、写真を万年筆のように、身近で柔軟なものにしてくれた。そして今や、立体や空間、体験までもを万年筆の気軽さで書き留めることができる。
さて、この万年筆でこれから何を書こうか。
初出:【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3575 2013/10/30
- Newer: ユーレカの日々[28] 1パイントのビールで人は何メートル上がるのか?
- Older: ユーレカの日々[26] 「妄想学研究序説」
Trackback:No Trackbacks
- TrackBack URL for this entry
- http://www.makion.net/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=446
- Listed below are links to weblogs that reference
- ユーレカの日々[27]「カメラ=万年筆」 from makion!log