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ユーレカの日々[22]「趣味の時間・仕事の時間」

 

三文未来の家庭訪問(庄司創)というマンガを読んだ。

 

ジェンダーやカルトといった様々な問題を扱った、SFとして非常におもしろい作品だったが、この中でドキッとするような描写があった。

 

 

 

●プログラマという仕事が絶滅した世界

その未来社会ではプログラマという仕事が無くなっている、という描写だ。

ストーリーとはほとんど関係のない描写だが、この時代アプリケーションはコンピュータが作るようになっていて、だれでも端末と会話していけば、アプリケーションが作れる。その技術が一般化したとたん、ほんの数年で多くのプログラマが失業した、というのだ。

 

デジクリ読者にはぞっとするような未来だが、このような世界は、そう遠くない未来に実現するだろう。

 

自動プログラミングというSFのアイデアは昔からあるものだが、今の時代だとかなりリアルに感じる。「判断するのは人間じゃないと無理」という意見があるが、はたしてそうだろうか?別にSFに出てくるような人工知能まで進化する必要はないだろう。

 

たとえばスパムメール。GoogleやAppleはユーザーの利用状況を常に分析している。多くの人がスパムだ、と判断すれば、そのパターンに合致する新しいスパムを自動的に判断する。

ならば、人が心地良い、便利と思うパターンもどんどん蓄積し、分析し、判断することもいずれ可能になるだろう。

 

テストを行うプログラム、デバッグするプログラムなど組み合わせていけば信頼性も高まる。

 

ひょっとしたらすでにそういったプログラムは開発されているのかもしれない。そうなるとマイクロソフトやアップルがとても困るので、開発者は密かにゴルゴ13に抹殺されているのかもしれない…

 

 

●技術革新は仕事を奪う

このマンガが怖かったのは、そういった技術面での信憑性が問題なのではない。ここで描かれている「ほんの数年でプログラマが失業に追い込まれる」というところがリアルなのだ。

 

実際、私たちはすでに似たようなことを見てきた。20年ほど前DTPが登場し、当初は「あんなものは仕事で使えない」と言われながらも、あれよあれよというまにシステムは発達し、多くの写植業、版下業が廃業や転業を余儀なくされた。

 

デジタルカメラが登場した時も、「あんなものは仕事で使えない」と言われていたのが、あっというまにフィルムメーカーは統廃合に追い込まれた。

 

もっと歴史を遡ってみよう。

 

産業革命以前、仕事は主に世襲制。子どもの時から時間をかけて、仕事に慣れていく。大人になって死ぬまでその仕事はちゃんと存在し、次の代が引き継いでいく。

だから教育は学校ではなく、家、村、仕事場で行われるのが合理的だった。

 

産業革命により、大量生産の時代になると、仕事は分業制になる。工場で自動車のボルトを作り続ける、といった具合だ。仕事場は家から工場や企業に変わり、仕事をする場所=都市に人が集まり、核家族化が進む。

 

こういった時代では、教育も専門性より汎用性が高いものが必要となる。技術革新で仕事が変化していくからだ。だから教育の場は「学校」という仕組みになり、基礎教育をたっぷりと、専門教育を少しだけ行う今の仕組みになる。

 

そして現代、デジタルの時代。あらゆる状況が瞬時に変わっていく。

 

専門学校で2年ほどFlashのプログラミング「ActionScript」を学んで社会に出てみれば、Flashの仕事は無くなっていてHTML5に取って代わっている、という時代だ。仕事の仕方が若干変わるくらいなら、差分を学び直せばいいだろうが、新しい技術は多くの場合、効率化され、それ以前より少人数しか必要としなくなる。

 

昔Flashのアニメ、バナー広告全盛期に、いずれネットでもテレビのCMをそのまま流すようになるだろう、そしてFLASHのアニメの仕事は無くなる、と書いた。まさにその通りになった。

どうやら技術の革新が仕事を奪うというのは真理のようだ。

 

自動プログラミングや、3Dプリンター、ロボットといったテクノロジーはたしかに人間を楽にしてくれて、魔法のように人の考えを現実化するだろう。

 

これらの革新は新しい仕事を生むとも言われるが、その仕事に従事できる人間は限られる。

 

先のマンガでは、主人公の両親はプログラマだったのが、母は仕事を失い、父はなんとかプログラムの仕事にありつけているがとても辛そう、という描写がなされている。

 

●教育の問題

さきほどFlashのプログラマについて書いたが、教育という仕組みも、旧来型で今はリスクが増えてきている。

 

昔読んだ星新一の小説で、宇宙飛行士になろうとした二人の話があった。片やスポーツ優秀、様々な訓練をトップでこなし、難関をくぐりぬけて宇宙飛行士に選ばれる。もう一人は身体が弱くすぐに脱落する。

宇宙飛行士になった男がはじめての宇宙飛行に出かけるというとき、もう一方が「なんの訓練もなく、だれでも宇宙に行ける安全な宇宙船」を発表するという皮肉な話だ。

 

今読んでもコワイ話だ。

「今後看護ビジネスが確実」ということで勉強しても、卒業するときには業界が冷え込んでいる、ということが充分考えられる。

自動車学校に通う半年の間にGoogleが自動運転を普及させているかもしれない。

 

だから変化に対応できるよう、より仕事の核心部分に就けるよう、人々は高い学歴を求める。しかし、技術の進み方、世の中の変化は容赦ない。高い学歴があってもそれを活かす職があるとは限らなくなっている。大学院にまで進学しても、安定した仕事にありつけるとは限らない。リストラされたり、会社が潰れたりするかもしれない。

 

現在の、仕事前提で教育を受ける、という仕組みが、社会の実情に合わなくなりつつある。

 

●仕事が減った世界

今のように週5日・8時間働くという工場生産型の生活はいずれ変化するだろう。仕事が効率化されるので、就労は週2日になったり、半年休みになったり。

実際非正規労働がどんどん増えている。企業にしてみれば長期に安定した仕事を保証できないからだろう。いずれ、非正規労働の方が正規の労働になる日が来ると思う。

 

この流れは止められるのか?

 

昔、ロボットが人間の仕事を奪うことに人々が反対する、というような話を読んだ。たしか鉄腕アトムだったろうか。それが描かれたのは、工場を自動化するのに、組合が反対するという時代だったのだ。

しかし、自動化の波は止まらなかった。

 

自動化効率化を進めなくては他社に負けてしまう。価格競争に負けて会社が潰れる。一度手にした効率化、利便性を人間はそう簡単に手放さないだろう。だからリストラが行われる。

 

なんだかお先真っ暗な話のようだが、効率化は様々なコストを下げてくれる。生活にかかるコストも下がる。

そもそもが「世の中を楽にするために色んな物が生産」されているのだ。それが合理化されコストが下がっているのだから、生活そのものは楽になるはずだ。

 

生活を楽にする道具を作って、そのために仕事が無くなる。なんだか相反することのようだが、総量で見ればプラスマイナスゼロだ。

 

仕事が減っても、生活費が安くなればバランスは保たれる。日本の場合は地価がネックだが、このコストが下がれば、仕事が減っても生活は可能になるのではないか。収入が減っても生活費がまかなえるなら、それは悪い世界ではない。

 

もちろん地球規模でみればエネルギー、人口、高齢化、貧富の格差など問題が山積みで、そんな呑気な未来は現実的でないかもしれないが、とりあえずもう少し考えてみよう。

 

 

●趣味の時間

さて、もしそういった技術の進歩が「生活には困らないが仕事もお金も少ない、のんびりとした世界」を実現したとしよう。プログラムも、プロダクトも、デザインも、ごく一部の人を除いて仕事にならない時代。ベーシック・インカムかなにかでとりあえず生きていくには困らない。貴族の時代と違うのは、時間はあるが、自由になるお金はそんなにはない、という所だ。

 

そんな時代でも、人はプログラムを書いたり、デザインをしたりしているのではないかと思う。仕事ではなく対価を求めない「趣味」として。

 

なぜなら、モノを作る行為そのものが「面白い」からだ。行為が合理化されて仕事として成立しにくくなっても、その行為が面白ければ、人はそれをやり続ける。だれかを喜ばせるために無償で行う。だれかとコミュニケーションを取るために、無償で参加する。それが「趣味」ではないのだろうか。

 

写真、工作、絵画、音楽、手芸、園芸…

現在「趣味」と呼ばれることの多くは、もともとが仕事だったのではないか。

ゲームやスポーツといった娯楽と呼ばれる趣味も「戦争」や「決闘」といった、仕事のなごりと考えることができる。

それらは昔は世襲の仕事として成立していたのが、技術の革新によって仕事として従事できる数が減り、そのかわり趣味として携わる人の方が多くなっている世界だ。

 

合理化され自動化され、仕事にはならなくなったジャンル。それでも人々はそれに夢中で取り組んだり、教育を受けたりする。

 

これらのジャンルでは多数のアマチュアと、その中から生まれたごく少数のプロの生産者、指導者、そしてそれらの面倒を見る人たちが居る。

だから規模の大小はともかく、今でもそれなりに経済活動として成立している。

 

とすれば、社会全体が「全て仕事中心」から「全て趣味中心」で成立しないだろうか。

 

●仕事になることを当てにしない趣味世界

「生活には困らないが仕事もお金も少ない、のんびりとした世界」では、仕事の種類はどんどん減り、かわりに趣味の種類はどんどん増える。

 

幸い時間は余っているので、自分の気の赴くまま、趣味に走る。

 

最初はお金のかからない趣味だ。コンピュータとネットさえあれば、そういった趣味はいくらでも見つかる。

 

趣味といえども、自己流ではうまく行かない。専門教育が必要だ。

現在教育というのは大変コストがかかるものだが、これもネットがあれば独学に必要な資料教材はいくらでも手に入る。先に述べたような、プログラムをプログラムが作ってくれるような時代だから、独学の相手をしてくれるアプリケーションもある。

 

また、そういった時代では指導者も無料で見つかる。「教える」という行為は実は相当に「面白い」からだ。だから「趣味として教えている」という人もたくさん出てくる。

 

そういった趣味世界でも、それを仕事として成功させる人が出てくる。上手くできる人は尊敬され、対価やスポンサーを得やすくなるからだ。

 

その人たちがその他の人たちに教えるのは「経済的な成功方法」ではない。それはもう仕事でなくなっているから。彼らが教えるのは「楽しみ方」だ。ゲームや映画鑑賞、読書といった消費系の趣味であっても、そのジャンルに精通し、なにが面白いかを人にうまく伝える能力があれば、そのジャンルで頼られる人になる。今でもライターや評論家というのは目指してなれるものではないだろう。

 

それぞれの趣味には周辺の産業もある。それらの仕事もまた自動化され減っているだろうが、それらの仕事が好きな人が、それらの仕事に携わる。

 

「面白いから学習してしまい、上手く出来た人はそれを仕事にできる」世界。現在の「対価を得るために仕事を選び、仕事を得るために教育を受ける」というのとは真逆の世界だ。

 

今でもBLOGなどで発表したものが注目され、本としてヒットし対価を得るということがある。芸術家や評論家、マンガ家、ミュージシャン。もちろん、目指してプロになった人たちもいるが、そういう趣味的ジャンルのプロたちは、仕事にならなくてもずーっとそれをやっている人たちなんだと思う。「(うまくできたから)面白くて続けていたら、それが仕事いなってしまった」という世界だ。

 

今の世の中だと、こういうジャンルの成功者にあこがれて目指してみるものの、結局は挫折する、というケースが多い。しかし、趣味が中心の社会になれば、挫折しなくても済む。自分が楽しくて他人に迷惑をかけなければ、それでいいのだから。

 

なんだかとても楽しそうな世界ではないか。楽天家のぼくはつい、そんな世界を夢想してしまう。

 

●ユートピアかデストピアか

便利になって仕事が無くなる、と考えると恐怖だ。しかし人類は今、その向こうにある、この脳天気な「趣味世界」を目指して進化している最中なのだ、と思いたい。

 

大学でイラストやマンガを教えているが、入学してくる学生たちはみな、「できれば仕事になればいいけど、まずは上手くなりたい」と言う。

 

それはすごく正しいと思う。

 

自分が面白いと思って夢中になっている学生はどんどん伸びる。結果としてプロになる。

逆にどうやって社会に出ようかと考えすぎると迷走する。何が好きだったのか、何をしたらいいのかわからなくなる。

 

今はまだ、社会の構造がそういった人たちにあまり優しくない。趣味よりも仕事優先だからだ。社会に役に立つことをしろ、安定した仕事に就け、という。でもそんな仕事が減ってきているのだ。全ての仕事が減っていくのだ。今はまだプログラムやデザインは技術を習得すれば仕事になる。マンガもアシスタントという技術仕事が無くは無い。でも、そういう時代はいつ終わってもおかしくない。

 

大学ではデザインの考え方や、仕事ということを教えている。マンガもプロとしての仕事の仕方だけではなく、人に伝えること、わかってもらう技術として教えている。時代が変わっても技術が変わっても、受けた教育が無駄にならないように。違うジャンルの仕事に就いても役にたつように。

 

イラストやマンガを教えていても、仕事としてやっていくことを薦めはしない。それがいい生き方だとは言わない。それを目指しても、必ず幸せになれるとは思えないからだ。今はまだ、仕事をして生きていかなくてはならない時代だから。仕事にするかどうかは評価が得られてからだと思うから。

 

仕事に使える技術を教えながらも、無償でも続けてくれたらいいと思う。好きなコトを続けられる方法を伝えられたらと思う。もっと面白くなる方法を伝えたいと思う。

 

若い人たちを見ているととんでもない労力で就活をし、せっかく就職しても合わないとか、ブラック企業だったとか言ってすぐに辞めてしまう人がいる。

好きでない仕事を延々と続けている人がいる。イラストやマンガで評価され一旦仕事になりながらも、仕事という仕組みがしんどくて続かない人もいる。

非正規雇用。合理化、リストラ。

 

政府や経済界は経済を活性化させようと躍起になっている。仕事にまつわる問題はすべて景気のせいだといわんばかりに。

 

でもおそらく景気の問題ではない。社会構造の変化なのだ。どうやら仕事中心の世界が徐々に終わりを告げているのだ。

 

その先が少ない仕事を取り合うデストピアなのか、趣味に生きられるユートピアなのか。この変化を乗り越えることができるのか。

 

願わくば近い将来、皆が好きなこと、趣味に従事することで長生きできる世界が来て欲しいと思う。

 

 

初出:【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3474    2013/05/15

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