- 2013-02-13 (Wed) 00:08
- ユーレカの日々
先日、大学で使っているMacBookのハードディスク残量が40GBほどになってしまっているのに気がついた。はて、何が入っているのだろうと調べてみると、デスクトップに置いてあるひとつのフォルダがやたらサイズがでかい。160GBもあるのだ。そのフォルダの名前は「デスクトップ」。
わかる人にはどういう状況かわかると思うが、わからない人にはさっぱりわからないだろううから説明すると、デスクトップに「デスクトップ」という名前のフォルダがあって、それが160GBあるのだ。
思い出した。授業の時、あまりにデスクトップがちらかっていたので、フォルダを作ってそこにすべて放り込んだのだ。そのフォルダを何処に作ったか忘れないよう、デスクトップに作ったのだった。
じゃあ、その「デスクトップに置いたデスクトップフォルダ」の中で、一番大きなアイテムは何だろう、と思って調べてみると、それは「デスクトップに置いたデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダ」だった。
つまり、前回あわてて、デストップのファイルをひとつのフォルダに入れたのだが、その時すでに、それ以前に同じ目的で作ったデスクトップフォルダが存在していて、それも入れてしまっていたわけだ。ちなみにこれのサイズも100GB以上ある。
じゃあその中の......というわけで、フォルダを掘っていくと最終的に「デスクトップに置いたデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダ」5階層デスクトップフォルダ・マトリョーシカが確認された。なかなかに壮観である。
普段、アクティブな仕事のファイルはすべて、Dropboxにフォルダである程度整理してるので、基本、デスクトップに置いてあるのは一時的に保存したファイル......のはず。ばっさり捨ててしまってもいいようなものなのだが、なんかの時に必要なファイル、というのが混ざっている可能性もある。そう思うとなかなか捨てられないし、かといって分類整理するのも面倒なので、こういうことになってしまうのだ。
わかる人にはどういう状況かわかると思うが、わからない人にはさっぱりわからないだろううから説明すると、デスクトップに「デスクトップ」という名前のフォルダがあって、それが160GBあるのだ。
思い出した。授業の時、あまりにデスクトップがちらかっていたので、フォルダを作ってそこにすべて放り込んだのだ。そのフォルダを何処に作ったか忘れないよう、デスクトップに作ったのだった。
じゃあ、その「デスクトップに置いたデスクトップフォルダ」の中で、一番大きなアイテムは何だろう、と思って調べてみると、それは「デスクトップに置いたデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダ」だった。
つまり、前回あわてて、デストップのファイルをひとつのフォルダに入れたのだが、その時すでに、それ以前に同じ目的で作ったデスクトップフォルダが存在していて、それも入れてしまっていたわけだ。ちなみにこれのサイズも100GB以上ある。
じゃあその中の......というわけで、フォルダを掘っていくと最終的に「デスクトップに置いたデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダの中のデスクトップフォルダ」5階層デスクトップフォルダ・マトリョーシカが確認された。なかなかに壮観である。
普段、アクティブな仕事のファイルはすべて、Dropboxにフォルダである程度整理してるので、基本、デスクトップに置いてあるのは一時的に保存したファイル......のはず。ばっさり捨ててしまってもいいようなものなのだが、なんかの時に必要なファイル、というのが混ざっている可能性もある。そう思うとなかなか捨てられないし、かといって分類整理するのも面倒なので、こういうことになってしまうのだ。
●リアルデスクトップもマトリョーシカ
片付けられないのはMacの中だけではない。リアル空間、自宅の仕事場も、大学の研究室も片付けられない。とにかく書類も本も机の上に積んである。机の上が一杯になれば、テーブルの上、ソファーの上、床の上と、あらゆる所に積層されていく。
この状態は、見た目非常に散らかって見えるが、実は効率がいい整理方法である。名付けて「地層式整理法」、別名「見せる収納」と呼んでいる。
すべての書類や本は「時系列」に積み上がっている。モノを探すとき、それぞれの山を掘ってみると、だいたいいつ頃の地層なのかがわかる。自分が探しているモノが、どの時期に使ったモノなのかが思い出せれば、比較的スムーズに見つかる。使用頻度の高いモノは、身近な山の上の方にまた載っていくリーセント機能もある。
ただ、この方式、無限に空間があればいいのだが、残念ながらそうはいかない。限られた空間の中で地層を作り続けると、やがて、雪崩が起きてしまう。
しょうがないので、雪崩が起きる前に、年に二度ほど、大片付けを行う。しかし、下手に片付けると地層が崩れてしまい、探し物がどこにあるのかわからなくなる。片付けは「地層式整理法」には天敵なのだ。
長年、いろいろと方法を模索してきたが、最近、いい方法を思いついた。デスクトップのファイルと同じ方法。まずそこらのAmazonの段ボール箱(これも手が届くところにたいてい、空箱がある)を用意する。
そこにとにかく机の上のものをほうりこんでいくのだ。そうすると、まぁ机の上はすっきりするし、地層はそのまま、箱の中だ。さらに、その箱は積み重ねることができる。そういった箱が自宅の仕事場にはすでに5〜6つはある。そろそろ邪魔なので、これらを大きな箱にまとめて入れる時期かもしれない。
●男のポケット
Macには検索があるし、机のまわりは地層式整理法で、おおむね必要な物は短時間で探し出せる。問題は服とカバンだ。
色んな物をポケットにつっこむ。財布、iPhone、ヘッドフォン、鍵、タバコ。まぁたいした物は持ち歩かないのだが、ここでも整理下手は発揮される。特にサイズが小さい切符、ライター、鍵。必要な時に、どのポケットに入れたのかがわからないのだ。
マーフィーの法則じゃないが、切符やライターは、常に、最後のポケットから発見される。「入れる場所決めとけばいいじゃない」と言われたことがあるが、もちろん、切符などは入れる場所を決めている。問題はその決めた場所が毎回違うので、出す時に「どの、正しい場所に入れたのか」がわからないだけなのである。
だいたい、男の服というのはポケットが多すぎる。ポケットが一つしかなければ、こんな探さなくても済むはずだ。すべては男の服はポケットが多くあるべし、としている服飾業界が悪い。
カバンも同様。いくら探しても見つからず、あたらしいものをすぐに買うことになるペンやライターなのだが、何度も探ったはずのカバンのポケットから同じ種類のペンが3本まとめて出てきた時はさすがに苦笑した。
なくしたMacBookのディスプレイアダプタを買い直したとたん、毎日持ち歩いているカバンの中から出てきたこともある。きっと私のカバンにはアリエッティが棲んでいるに違いない。
その点、iPhoneはすばらしい。家でiPhoneがどこにいったのかわからなくなることがまぁ、週に一度はあるのだが、Macから「iPhoneを探す」機能を使って、マナーモードのiPhoneに音を鳴らすことで、すぐに見つけることができる。
もし外でなくしても、いざとなったら初期化できるというのも、私のようにモノをあちこちに置いてしまう人間にはとても重要な機能だ。Appleが開発中と言われるスマートテレビ。きっとその目玉機能は「リモコンが探せる」機能に違いない。
●整理能力保存の法則
こんな風に書いていると、つくづく自分が、だらしない人間、仕事も出来ない人間じゃないのかと思えてくる。文章にする、というのは恐ろしい。
自分の名誉のために言っておくが、わたしが整理をしない(できないのではけっしてない)のは、自分の整理能力を仕事で使うためだ。
イラストやマンガを描くにせよ、学生を指導するにせよ、こういった文章作成にせよ、情報の整理能力をフル活用する。必要となる情報を分類し、傾向を分析し、筋道を立て、さらに必要となる資料を揃え、精度を上げていく。こういったことは私が最も得意とするところだ。わたしがそういったことを仕事に出来ているのは、自分の情報整理能力によるところが大きいと自負している。
ならばなぜ、物理的には整理下手なのか? 「整理下手」という風に言うと、「整理上手」に劣るように聞こえるが、便宜的に「下手」と言っているだけで、劣っているとは思っていない。
おそらく、人の整理能力というのは無限ではなく、限りがあるのだ。あるところで整理能力を通常以上に使っていると、その他のところで整理能力が足りなくなっているのだ。これを「整理能力保存の法則」という。
●私は如何にして心配するのをやめて混沌を愛するようになったか
「デスクトップフォルダマトリョーシカ」160GBも、地層をそのままアーカイブしたAmazon箱も、たまりすぎるとどうにもならなくなる。無限に空間、ハードディスクがあればいいのだがそうもいかない。光学ディスクに焼くにせよ、箱から不要なものを捨てて、スペースを作るにせよ、まとめてやると時間と手間がかかる。
その代わり、先に書いたように、年に二度ほど、大片付けをする。この年末年始も自宅の仕事部屋を相当整理した。たくさんのモノを捨て、たくさんのモノを整理し、汚れを落とす。先にも書いたように、この行為は「地層整理法」をリセットしてしまう。だから年に二度くらいしか行ってはならない。
これが実に楽しい。まさにゲーム「倉庫番」のように、一見飽和状態で身動きのとれない部屋が様々な試行錯誤の末、徐々に空間を取り戻し、納まっていく。普段から「断捨離」などしていては、この知的興奮は得られないだろう。
●探し物はやめられない
時々、自分の人生の時間のうち、何パーセントが探し物に費やされているのだろう、と思う。あらゆる物事が「Google」のように、「iPhoneを探す」ように、一瞬で見つかったら、この時間を他に使えるなぁと夢想する。
しかしまぁ、人生というのは、死ぬまでなにかを探している状態なのだとも思う。幸福だとか理想だとか愛だとか希望だとか生きがいだとか。なんでも簡単に見つかったら、人生はきっとつまらないだろう。
探している過程というのは、なくなればいいのか、というとそうではない。探している過程もまた楽しいのだ。探すということを楽しむために、ぼくは今日も混沌の中で仕事をするのだ。
初出:日刊デジタルクリエイターズ】 No.3401 2013/01/16.Wed
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